XMLのアフォーダンスって何?

アフォーダンス、アフォーダンス言ってる都合上
アフォーダンスの誤用のリサーチを、と思いまして
グーグル先生にご相談してみておるんですけど
最近ではXMLのアフォーダンスなんてことが言われておるようでして。
ちょっといくらなんでもそれはどこの馬の骨アフォーダンスですか?
Normanがメディアのアフォーダンスとか言ってたからそれのことか?

wikipediaとかはてなとかアートスケープとかでも用語として載ってますけど
どれも少しズレてる。
いや、アートスケープは良いかな?
はてなは酷い。
もろにノーマンの意見しか書いてないのに上に乗っかってる本は佐々木さんの本ばっかだ。


Gibsonの意図とずれたアフォーダンスで論じられたことに価値はない!
とか言う気はないですけど、
オリジナルの定義と違う定義でみんなが使っちゃうもんだから
いつまでたっても有意義な議論ができないんじゃないですかね。

例えるなら
おにぎりのことを議論してるんだけど、A君の意見がなんか的を得ないんだけどなんでだろ?
ってよく聴いてみたらA君スシとおにぎりを混同してるじゃん!
ていう感じ?
おにぎりを知らずしておにぎりを議論するのはどうなん?


俺も最近気づいたんですけど
アフォーダンスについてNormanから引用をひいちゃいけません。
だってこの人、自分の考えはギブソンのものとは違うって注に書いてるし。
<「ギブソン心理学の核心」参照>

なんかアフォーダンスをめぐる議論を見てると

アフォーダンスって言葉を知って
「これもアフォードしてるよ!これもアフォードしてる!!おお!!すげー!
みんなアフォードしてるよ!!」
ってなって、アフォーダンスすげー、アフォーダンスつかいてええ!

っていう意気込みは感じるんですけど
じゃあそのアフォーダンスはどこから来てるの?ってことにはとんと無頓着な感じで。

アフォーダンスって言葉はそれだけ何かをインスパイアする魔力を持ってるわけですが
本当の力を発揮する前に捨てられるようなことにはならないで欲しいなぁ。

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背景化

有名BlogにTB送るのはなんだか恥ずかしいのですけど、
いつも読ませていただいております。
という感謝の意味も込めて、ちゃんと書きますのでお許しを。


この、電車女話を最初に読んだのはカトラーさんのBlogなんですが、
一応若者であるうめさんにはとても違和感を覚える内容でした。

これは別に恥の概念が云々という話ではなくて、
電車の乗客は「人」ではなくて「背景」
という意識から来てるのではないだろうか?
と俺なんぞは思います。

つまり、一昔前なんかは
        (そうだな、サザエさんの時代くらいかな?)
電車の乗客は「他人」であったのです。
ドア付近にしゃがみこんだりするマナーの悪い客がいたら注意する人がいたし、
乗客はアクティブな「人」として認識されてた、と俺は思うわけです。
対象が「人」だから立っているのが辛そうな人を見ると席を譲るし
化粧している姿を見られると恥ずかしいと思うわけです。

ところが、ウォークマン世代、携帯電話世代の俺らにとっては
道行く人は「背景」の一部でしかないんです。
物を言わなくなった周囲の人間は置物と変わらない「背景」で
自分にとっての「人」つまり物言う人間は、ケータイの向こう、
または待ち合わせ場所にしかいないんです。

カトラーさんも
     >>目の遣り場に困ってしまい、
     >>目を閉じて寝たふりをして、
>>ただこの状況をやりすごすしか術がなくなる。
とおっしゃってますよね。

だからこそ安心して自分の場所を広げられる。
座り込もうが、ウォークマンで自分の世界に入ろうが、化粧しようが関係ない。
だって、誰も見てないところなら何やっててもかまわないわけでしょ?
物言わぬ置物しかないところなら、誰もいない、見てないのと何が違うの?

という気持ちなんではないでしょうか?


もちろん、これは憶測です。
俺もiPodは使いますが、席は譲る(というか混んでたら座らない)し、
突然座り込んだりはいたしませんが、
なんとなくこんな気持ちなのではないかな?と思います。

別に社会がどうのとか、教育がどうのとか、注意しない大人はどうのとか
そんなことを言う気はございません。
ただまぁ、そういうことなんではないでしょうか?という話でした。

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iPodだから映像が見れると凄い

結局Appleは何を作ったか?ってところなんだと思う。
言わずもがな。
トラックバック先を参照しちゃってください。
iTunesを無料でくばっちゃった、配っちゃえたことが凄いんだろな。

ただ、既存のテレビサイズの画像をキャストする、って使い方は
俺の中ではありえないと思う。
さすがにこの小さい画面でTV見ても楽しくないでしょう。
映画なんか字幕見えないくらいだろうし。
この大きさだからこそできる映像配信を考えるべきなんじゃないでしょうか?
(例えば、この画面で地上波の語学番組流されても恐らく役に立たない。)

でも、逆を返せば
ある程度の画面サイズを持った携帯端末を作れば
既存のサイズの映像を売ることができるシステムはもう作っちゃったわけだよね。
あ、
カーナビとリンクさせちゃうって手はありだよね。

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なしくずしの機能追加主義

ノーマン先生のお言葉であります。

思うに、APPLEの凄いところはこれがわかってることなんじゃなかろうか?

iPodにチューナーがついてない(つけることはできたはず)のは
突然ラジオが聞きたくなることなど滅多にないからいらないことをわかってるからだろうし、
マイクがないのは、全てのMP3プレイヤーユーザーが
録音機能を欲しているわけではないことをわかっているからだろう。

今回、動画再生機能が搭載されたのは
誰もが思いつくように
ポッドキャスティングとからめるためだと思う。
現状できるかどうかわかんないけど、すぐできるようになるよね。多分。

逆に、ポッドキャスティングとからむと面白いからこそ
動画再生機能を搭載したのだと思う。

「ラジオも聞けて、録音もできて、動画再生できて、音楽聴けたらいいんちゃう?」
という、なんでもつけときゃええやん、というのがノーマン先生の言うなしくずしの機能追加主義。
ついている必然性のない機能は、やっぱ使わないんだって。
そしてそれはインターフェイスを必要以上に複雑にするんだよね。
いらん人にとっては迷惑な話しさね。
「つけときゃ何とかして使ってくれるて。」
という無責任な機能は、殆どの確立で使われないの。
「こうやって使いなさい。」
というおせっかいな機能は、殆どの場合嫌われるの。
「こうやって使うと面白いよ。」
という機能が、本当に面白いとみんな飛びつくの。
そんな気がします。

ユーザーとそういうビジョンを共有できるところが、今のAPPLEの凄さだと思う。
「文化をつくるんだあああああああああああ」という意気込みが文化を創るんじゃなくて
みんなと楽しみたいんだ。もちろん俺も。っていう気持ちが輪を広げていくんだろうなぁ。
人が歩くから道ができる。ってやつですね。

俺的にはシャッフル機能は微妙。
おまけのゲームはほんといらない。
アラームはけっこうありがたい。

ポッドキャスティングで動画ニュースとか見れるようになったら凄く良いよね。
音声のみだとちょっとつらいんだよね。
RSSはやばいっしょ。
テレビと違って時間拘束がゆるいのもいいし。
Blogみたいに、自分の好きなチャンネルを登録しといて
好きなときに好きなもの見れるようになったら凄く良いよね。


 「ソフト面からも、ハード面からも攻めて、
  さらにサービスにつないで囲い込んじゃうところがスゲー」
というのではなくて、視点の違いなのだと思う。
見てる高さが違うのかな。

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PV売っちゃくれないかなぁ。

ネットで音楽配信とか躍起になってやってくださるのは結構なんですが
それよりもプロモーションビデオ売ったほうが儲かる気がするのは俺だけでしょうか?

そう、PV。欲しい。

パッケージ化して売るほど売れるもんではないかもしれないけど
ネットで一曲400円くらいで売ってたら買っちゃうと思うなぁ。
一曲400円でもね。

ミシェル・ゴンドリーだの、スパイク・ジョーンズだのが作ってる奴ですらも
DVD化された奴くらいしか俺見れないの
もっと見たいじゃん。
ホワイト・ストライプスのビデオ見て、ホワイト・ストライプス気になり始めたし。


どうですか?
ITMSと同じことだけやってても
合法ウイニーでもない限り多分勝てませんよ?
それより
高画質のPVを一曲400円で売ってみませんか?
俺は買いますよ。

それかさ、
タワレコとかで一曲400円でDVDに焼いて
パッケージ化して売ってくれるとかね。
プロモ欲しいです。
売ってください。

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ポストモダンマーケティング

>これからの時代は、商品はあふれ、差別化はできなくなり、
>消費者は「経験価値」の低いものに関しては、
>徹底的に安さだけで判断して商品を買うようになります。
>これを「コモディティ化」と呼ぶのですが、
>いくら顧客のためにマジメに働いても、高い収益は望めません。
>低価格、そして低賃金のスパイラルの中に突入していくでしょう。

そうですよね。俺もそう思うのです。
ものづくりの問題はここにあって
・どんなものを作っても売る仕組みは販売店が作ってる。
・多くの販売店は物を売るためには安くすることだというルールで動いてて、
 売るモノ自体は儲かればなんでもよい。売れるモノを売るだけ。

実はこうやって安いものを買うことで
間接的に自分の首を絞めてるわけで。
これこそ「誰のためのデザイン?」なわけで。
(w)

それを打破するためには消費者に賢くなってもらうしかない。
そのためには消費者に語りかけないと。
自分のことばではない、相手のことばで語りかけるのです。
自分が苦しくとも。
そういうことをしないといかんなぁとおもうのです。

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良いとか、悪いとか

良い、悪い、という言葉を価値判断に使わないようにしたいと
常に思っているのですが、すぐに口をついて出てしまいます。

嫌いなのは「良い音楽」といった類の良い、悪い。
自分の価値観の裏づけとしてこういう一般論があって、自分の価値観は正しいのだ、
と言わんがばかりの良い、悪い。

良い、悪い、と言う言葉は乱暴だと思う。
例えば「良い楽器」は
「つくりがしっかりしている楽器」だったり
「厚みのある音を鳴らす楽器」だったり
「木目がきれいな楽器」だったりするわけだが
それを全て「良い」というひとことで乱暴にくくるのです。
つくりがしっかりしているか?という点では高価な楽器にかなわないような楽器でも
ガレージバンドの荒々しさにはピッタリだったりするのに
あれは悪い楽器だ、というのですか?
もやもやした部分を誤魔化すために、
すべてをひっくるめたかのようなニュアンスで「良い」とするわけです。

「良い」という言葉を使うときには
何が良いのかをしっかり考えるべきなのだろう。
goodよりfitを大切にすることが、結果的にbestなんじゃなかろうか。

・・・なんか、国語の問題みたいな文章じゃない?これ?
なんか文章の運びがすげー「現代文」くさい。
  ここに筆者の意見があって、ここで展開して、
  ここに線引いて、これそこの答えだから。

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fomaは大丈夫なのかな?

FOMAはシンビアンOSってやつらしいですね

最近じゃwindowsで動くゲーセン筐体もあるくらいだからなぁ。
   (まさかゲーセンで青い画面見るとはおもわなんだけど。)
OSが普及すれば、
悪さもしやすくなるというか、
悪さのし甲斐があるのでしょうね。

しかしなんか手の込んだこと考えるよね。

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キモかわ

  インスピレーションは、今そこを㌧㌦る蚊の如し。
  折角こちらが好意で生け捕りにしてやろうと思っているのに
  捕えた手からするりと逃げていくのです。
  しかたがないので止まったところを叩くわけですが
  するといた痕跡(正確には刺した痕跡)を残して
  「死んで」しまうのです。

  能書きはいい、本題に入れ。

「百式」さんという有名なサイトで
こんなんが紹介されてたので
インスピレーションが逃げる前に捕えとこうと思いました。

子どもの世界観を壊さないようにリペイントされてるからなのか
そのように配慮されているからなのか
怖さとかわいさが同居した不思議な絵になるんですね。

子どもの発想は自由だなぁ
というのは、
子どもの発想が自由なのではなく、
大人になるにつれて色々なものに縛られて、
その縛りを自分で解けなくなってしまうってことなんでしょうね。
事実、子どもたちにしても
頭から火が出てるのはOKでも
足がないと歩けないだろうとか、当然手はあるべきだろうとか
そういうものには縛られていそうだし。
子どもをみて
実は自分が縛られていたことにはっと気がつくのかなぁ。

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トゥルーマンか、みのもんた

///「アドバテイメント」という広告手法は、
///番組の合間にCMが放送されるという今までのテレビの広告手法ではなく、
///作品、番組自体に広告要素を組み込んでしまう というものです。

と堀江氏おっしゃっとるらしいです。
確かにCM飛ばしますね。
でも、それって今に始まったことではなく、ビデオ録画の時からやってましたよね。
20世紀的文明がボディブローのように利いてきた今日この頃、て感じなんでしょうか。

つーか、既にアドバテイメントかなりやってませんか?
ハセキョーが持つ携帯はドラマ内でもドコモだったり
プリンタはCANONだったり。

みのもんたなんか
「ココア」って言うだけで
「ココア」がお店の棚から消えるんでしょう?

もっと商品を前に出すと
「トゥルーマン・ショー」
がまさにそういう感じですよね。
突然カメラに向かって「新しい~買ってきたの」
「お前誰に向けて話してるの?」
みたいなやり取りがあったような気が…

番組と番組をCMで区切るっていう
あたりまえがなくなってゆくのかもしれないですね。

モノって
モノ自体のそれがどうとかより
ライフサイクル、ライフスタイルの一部として売る時代じゃないですか。
「V6 3,5リッターツインカム」よりも
「上質、ラグジュアリー」のほうがピンと来る人の方が多いのではないでしょうか。
「V6 3,5リッターツインカム」がピンと来る人はむしろその先の馬力とかを知りたいわけで…
って話が飛んだなぁ。

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